KHJジャーナル「たびだち」105号(2023年初夏号)から、「個人ではなく世帯単位の制度が日本で8050問題を生み出した」社会学者・関水徹平さんインタビュー記事の一部をご紹介!
ひきこもりを研究する社会学者・関水徹平さんインタビュー
社会学者の関水徹平さんにインタビューした。関水さんはひきこもりと社会保障について研究しており、外国の事例にも詳しい。日本では「8050問題」や「親亡きあと」が話題になるが、ヨーロッパでは問題になっていないという。どのような仕組みがあれば、親と子が追い詰められずにすむのだろうか。社会保障の観点から、「家族だけで抱え込まない」ための制度についてお聞きした。
取材: 喜久井伸哉 / 石井英資
石丸晃帆 / 上田理香 / 瀧本裕喜
執筆: 喜久井伸哉
撮影: 瀧本裕喜
社会の政策が家族の「当たり前」をつくっている
―― 私には、ひきこもりの経験があります。働くことができずに苦しんでいましたが、私も親も、社会保障に頼ろうとは思いませんでした。「公的な援助に頼らず、家族のお金だけでなんとかしなければならない」と思い込んでいたのですが……
たしかに、制度があっても、活用できるとは限りませんよね。「家族だけで支えなければならない」という意識があると、公的な支援を受けることが、選択肢にのぼらなくなります。「支援を受けることは恥だ」と思っている人もいる。でも、思い込みや意識は、意外と簡単に変わっていくものだとも思います。
たとえば、最近では「マスクを外すかどうかは個人の判断にゆだねられる」と政府が公式にアナウンスしました。その影響もあり、街中でマスクをしていない人が増え、「自分も外そうかな」と思う人も増える。このように、社会のルールや規範は変わります。
―― 「ひきこもっている子どもは、親が面倒を見なければならない」という意識も、制度によって変わるものなのでしょうか?
そうだと思います。政策が、「あるべき家族像」をつくってきた面があるのです。日本では、さまざまな制度が「世帯」単位で設計されてきました。コロナの特別定額給付金が出たとき、「世帯主」の口座に振り込まれたことが話題になりました。生活保護や生活困窮者自立支援制度も「世帯」単位が前提になっており、世帯の所得・収入が一定基準を下回らないと給付は受けられません。障害年金のように世帯ではなく個人を単位に支給される給付が少ないため、ギリギリまで世帯内で支え合うことが求められがちです。
また日本社会には、いまだに性別役割分業への期待があるようです。男性が経済的な柱になって世帯を支え、女性が子育てや介護をするモデルです。政府が「あるべき家族像」を設定し、性別役割分業を維持・強化するような制度をかたちづくってきました。それは、現在の選択的夫婦別姓や同性婚の議論とも関わっています。「ひきこもっている子どもは親が支えるべきだ」という意識も、政治家など権威のある人が望む「あるべき家族」像とそれにもとづいた政策に左右されています。
――日本では、「家族主義」が根強く残っているように思います。子育てや介護を家族だけで行うことが、日本の「文化」であるということはないのでしょうか?
たしかに、家族主義を日本の文化と呼ぶこともできます。しかし、歴史を見ると、政治的な意図があったといっていいでしょう。日本でも、1973年に「福祉元年」というスローガンが打ち出されました。困っている人がいたときに、「家族だけでなく、国家で支える仕組みが必要だ」という、ヨーロッパ型福祉国家の考え方です。しかし、同年オイルショックが起こり、福祉国家の理念は後退してしまいました。1978年の厚生白書では、高齢者介護について、同居家族が「福祉における含み資産」だと言われるようになりました。同居者が介護をすることで、国が社会保障にかかる費用を抑えるという考え方です。
このような考え方は、その後も日本の社会保障制度の基本であり、介護だけでなく、働きづらさの問題にも及んでいます。特に90年代以降、若者の雇用問題が生じ、中高年の雇用も不安定化しました。ところが、安定した仕事に就けない人がいても、その生活保障については「家族に任せる」ことが基本路線になっているのです。
スウェーデンでは、高齢者の独居率が高いというデータがあります。それは、世帯単位ではなく、個人への生活支援が豊富なためです。子どもの側も、「親がひとり暮らしをするのは当たり前」と思っている。日本でも、2000年の介護保険制度の開始によって、「家族だけで介護しなければならない」という意識は大きく変わりました。家族のあり方と社会保障の制度は、分かちがたく結びついているのです。
個人の権利を守るために国が支援する欧州の認識
――関水さんは、ヨーロッパの社会保障について研究されてきました。日本とはどのような違いがあるのでしょうか?
ヨーロッパといっても様々ですが、私が調べているドイツやスウェーデンでは、家族だけではなく、「国が支援する」というスタンスがはっきりしていると思います。産業化以前は、ヨーロッパでも、「地縁・血縁を基盤とする支え合い」が主流でした。しかし、産業化が進むにつれて、核家族化も進み、住む土地を移動する人も増えていきました。家族だけで支え合うことが、機能しなくなっていったのです。
80年代以降は、雇用の不安定化が社会問題になり、とくに若者の失業が大きな問題になりました。仕事に就けない若い世代の問題を、それぞれの家族に丸投げしても、解決することはできません。そもそも、社会的に自立の難しい人は、家族の基盤自体が不安定な人が多い。親が低収入だったり、精神疾患だったり、家族が若者を支えられない状況があります。ヨーロッパでは、若者の自立の困難を「社会的排除」の問題ととらえて、「包括的な支援の仕組みが必要だ」と認識するようになっていきました。
世帯単位での仕組みが親子間の葛藤を深刻化させる
――私はひきこもっていたとき、「働いていない自分はダメだ」と思っていました。もし社会保障が充実していたら、自分を責めずにすんだのかもしれません。
ドイツの社会保障について勉強していると、………
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